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トリーカ昔物語

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2006. 7. 31 高田

第101話 おしまいに~「過去は記憶に、未来は夢に!」

「トリーカ昔物語」~「トリーカ未来物語」へ

「トリーカ昔物語」もとうとう100話に到りました。
長い間のご愛読ありがとうございます。
「トリーカ昔物語」は本日を持って完了させて頂きます。

以前にもお断り申し上げたように、手前勝手な物語になってしまい申し訳ありません。
最終は竹中社長以下トリーカ社内の取締役の方に一話づつお願いしましたが、やはりそれぞれの方に昔物語はあります。当然の事ですね。
本来はお一人それぞれに100話を超える歴史や思い出があるわけです。
また何時かの機会に是非お聞きしたいものです。
私自身も100話のチャンスを戴きながら、まだまだほんの表面しかお話していない様にも思いますが、そんな贅沢な事は申せません。
物語では大変失礼な言葉や文章になっていると思います。ワコールさんの事をワコールと呼び捨てした事もずいぶん気になったのですが、極力普段の話し言葉にして、読みやすくしたものでお許し願いたいと思います。
それに、そもそもこの物語りの読者として想定していたのがトリーカの若い人達であり、その人達へのもの語りにしたいと思っていました。
無断でお名前を拝借した先輩の方々、特に宗安会長さんなども、 折々に呼び方が変り失礼も致しました。また本来お名前を出すべき方を漏らしている失礼もありますが、極力個人名は出さない様にしようとした当初の思惑がど うしても崩れ、最小限に絞ったものでこの点もご了解をお願い申し上げます。
連載中特別なメールは少なかったのですが、「読んでるよ」と言う呼びかけは意外に多くあちこちでお聞きしたのには、自分ながら驚きました。
インターネットの世界は国際的ですね。中国でも読まれていると聞いた時はびっくりです。そんな事ならもっと慎重に取りかかるべきでした。
そもそも今年の年明け頃から意識はしていましたが、竹中社長に話したり、安達部長にブログの段取りをしてもらったりして、2月20日が最初でした。
当初は一日一話、A4で1ページの分量と思っていたのが、原稿分量に制限がないと解ってだらだらと長い話しになってしまいました。
本社の情報部、丹生有祐君には写真や資料の挿し込み、また私の我侭を聞いて手伝って戴きました。お礼を申します。
ほとんどの文章がその日の思いつきで書いたものですから、同じ様な内容が二度三度出たり、あるいは欠けたりしていると思います。
計画性のない性格がそのまま出て一貫性の無い物語になり、ご迷惑をおかけしています。

でも、「記憶の中の過去」を折々のエポック毎にランダムに話していますが、それらを通してトリーカの歴史なり、トリーカを考え、国内縫製業を考えたつもりです。
たまたま私は、輸出縫製品工業協同組合連合会(輸縫連)の大阪本部の仕事関係で、「日本繊維産業連盟」の全国会議などに理事長代理で参加する機会があります。
そこは紡績、合繊、職布、ニット,染色、縫製、アパレル等国内繊維産業の業界代表者が出席されてるのですが、「縫製」は残念ながらとても弱い立場です。
つまり縫製は国内に残るのは困難業種で、中国など海外の縫製が本流である事を前提にしている感があります。
まさに世界繊維の大きな産業構造の中では、縫製業のあるべき場所は今や中国なのです。
特に日本国内の「縫製の下請け加工業」は、その業態では存続は無理で早急に自販力を装備し、自立化の道を勧めています。それが出来ない企業は淘汰されても止む無し~との認識です。
経済産業省はその方向で「自立化支援」の資金提供をここ数年やっていまして、それもそろそろ終わりとなるでしょう。
この考え方は正しいかも知れません。
大きな世界経済の変化や日本の人口減少をはじめ人々の価値観も変わります。
まさに「適者生存の法則」に照らせば、経済原則はそちらの方向に移行するのでしょう。

しかし、私はこの状況下で少し異なる見解を持っています。
「日本に繊維産業を残そうと思うなら、消費者に一番近い縫製業が無いと、繊維産業としての一貫性に欠ける」「だからもっと縫製業を重視して欲しい」と叫ぶのですが、実体は衰退の一途です。
「何故縫製に社員が来ないのか?」と問われます。
「やはり給与が低いのです」と答えざるを得ません。「付加価値が低いのです」
「加工賃の國際競争に勝てないのです」となります。
「せめて外国人技能研修制度の活用を容易にしたい」と言えば、
「研修制度を利用して外国人研修生を安い給与で働かすのか?」と来ます。
「実習生は日本人労働者と同じ条件だ」と言っても
「実際は安い残業賃で働かし、日本人の雇用まで犯す」とまで言う。
「研修生・実習生が居るから縫製工場が何とか成り立っている。そのお陰で数倍の日本人の雇用を生むのだ」と、「この実体だけは勘違いしてくれるな!」説明します。
地方の繊維産地における研修事業による操業と雇用の効果に付いては少しは理解してくれたかも知れませんが、国会議員や役人の認識はこんなものです。
同じ繊維産業の業界人ですら、目は海外縫製に向いています。
先般も「自民党繊維産業政策提言研究会」などの席上で上記の意見を出していますが残念ながら少数意見です。
繊維産業全体では産地支援や展示会促進、企業会計の減価償却比率、法人税逓減、FTAの促進等々の縫製業とややかけ離れた提言の方が主流となります。
我々輸縫連のみが研修生受け入れ制度に的を絞って提言要請しました。
この結果、優秀な生徒の「高度技能者の再入国」が改善されるかも知れません。
結論が待たれます。

繊維業界内も部外者も決して意地悪をしているのでは無くて、縫製工場を取り巻く経済の実態がそうなのです。
われわれはこの実態を乗り越えて「縫製業の国内存続」を計らなければならないのです。
「トリーカの国内存続」「トリーカの未来」はこの課題を越えたところにあるのです。
縫製の下請け加工専業をなにも卑屈に感じる必要はありません。
「縫製専業」で良いじゃありませんか!
「縫製の深耕対応」は立派な経営テーマです。
「そこまでやるか縫製工場!」「トリーカ・ベンチャー方式」「研修事業・國際貢献」
「女性社員主体」「人間力・自己実現」「日本縫製・世界販売」「真のQCD+S」、
「喜びの集団成果追求方式」「トリーカ船団」「トリーカいかだ方式」等々トリーカが生きて行く道筋は沢山あります。
必ずトリーカ100年の道があります。
毎日の仕事は忙しいと思いますが、どうぞ「夢を描いて」欲しい。

「トリーカの未来はみなさんの夢の中に生まれる」のですから!
この次は「トリーカ未来物語」でお会いしましょう。
皆さん長い間ありがとうございました・謝謝・再見!!!。

平成18年7月31日    トリーカ顧問 高田辰義

※「トリーカ昔物語」最終回によせて ~ 竹中社長

2月より高田顧問が執筆されました「トリーカ昔物語」は、第101話をもって
最終となりました。約6ケ月間という長きにわたり、トリーカの誕生から現在まで、そして未来について執筆されました。
私達は「トリーカ昔物語」を通じて、45年間の歴史を学ぶことができましたことを、深く感謝申し上げなければなりません。
「高田顧問、長い間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました!」
私の記憶の中には、高田顧問の45年間は、厳しいことばかりが多かったことと感じています。しかし、なにひとつ嘆くことなく、挫折することなく、その厳しさに真正面から正々堂々と挑戦して行く姿勢が、私の生き方を変えたような気がします。
私達が、もし、何かに突き当たった時、もう一度『トリーカ昔物語』を思い出し、
打破して行かなければなりません。それがトリーカのDNAであると思います。
そのDNAを受け継ぎ、私達の会社はあと5年で「創立50年」を迎えます。
創立50年には「プラン1110」を達成することが、高田顧問への最大のご恩返しであると思います。
高田顧問、本当に長い間お疲れ様でした。
執筆洩れがありましたら102話以降も宜しくお願い申し上げますと同時に、大所高所よりご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。
本当にありがとうございました!

平成18年7月31日   株式会社 トリーカ 社長 竹中顕二

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